シャーロック・ホームズの科学的思考法 ~要約『シャーロック・ホームズの思考術』その1~
なぜホームズは真実を見抜けるのか?
シャーロック・ホームズといえば、今日でも人気のある名探偵です。
なぜホームズはあざやかに犯人や真実を見抜くことができるのでしょうか?
今回はアメリカでベストセラーになった『シャーロック・ホームズの思考術』をもとに、ホームズの科学的思考法について解説していきます。
一般的な科学的思考法
「科学的思考法」の定義にはさまざまなものがあります。『シャーロック・ホームズの思考術』では、科学的思考法は、幅広い基礎知識、事実に対する理解、これから取り組もうとする問題の概略を把握することから始まるとしています[1]マリア・コニコヴァ(著)、日暮雅通(訳)『シャーロック・ホームズの思考術』早川書房、2016年、33頁。。
しかし、ホームズの科学的思考法はこれだけに留まりません。では、ホームズの科学的思考法の特徴は何なのでしょうか?
推理の科学
ベル博士の「観察と演繹的推理」
シャーロック・ホームズのモデルは、作者のコナン・ドイルがお世話になったジョセフ・ベル博士です。ホームズはワトスンに初めて会った時、アフガニスタンから帰国したことを見抜きましたが、ベル博士もホームズのように、患者を見ただけでどこから帰国した兵隊なのかを当てたようです。
ドイルがベル博士に「あなたに繰り返し教え込まれた、観察と演繹的推理といったもののほかに、物事をとことん突き詰めるような性格を備えた人物を、つくり上げようとしました」という手紙を送ったように、ホームズはベル博士の「観察と演繹的推理」を受け継いでいます[2]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』28~29頁。
純粋な演繹ではないホームズの推理
しかし、ホームズの推理は純粋な演繹ではありません。純粋な演繹は以下のソクラテスの例のように一般原則から個別事例へいたることを意味します。
- すべての人間は死ぬべき運命にある。
- ソクラテスは人間である。
- ソクラテスは死ぬべき運命にある。
しかし、演繹は一般原則から言えること以外を語ることはできません。たとえば、初めて会ったワトスンを見て、「アフガニスタンから帰って来た軍医」と言い当てるのは演繹ではありません。
アブダクション(仮説推論)に近いホームズの推理
では、ホームズはどのようにして推理をしているのでしょうか?『シャーロック・ホームズの思考術』の作者であるマリア・コニコヴァは「実は、論理学的な用語でいえば、ホームズのいくつかの“推理”は、厳密には帰納法あるいは仮説推論(または還元法)と呼ばれる」と言っています[3]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』253頁。。
帰納法とは、観測データから一般法則を導き出そうとする手法で、仮説推論は仮説を用いて目の前の現象を説明しようとします。
つまり、観察した情報からさまざまな仮説を立てて考えていくというのが、ホームズの科学的思考法ということです。
アブダクションについては、下記の記事で詳しく採り上げているためご参照ください。
残ったものが真実
ホームズの名台詞に「私の方法は、不可能なものをすべて消去すれば、あとに残ったものがいかに不合理に見えても、それ以外に真実はないという推定から出発するんです」というものがあります[4]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』252頁。。この台詞は少し言葉を変えながら、数度登場し、ホームズの推理方法の根幹といえます。
つまり、仮説推論でさまざまな仮説を立て、それを一つひとつ検証し、不可能な仮説を棄却していけば、残った仮説が真実であるということです。
観察こそ科学的思考法の初歩
仮説には「観察」が重要
仮説を立てて、それを一つひとつ検証していくだけなら、簡単に体得できそうです。しかし、多くの人はホームズと一緒にいながら事件の真相にたどり着けないワトスンと同じように、真実に到達できません。
この2人の違いは「観察」にあります。
物語の中でもホームズがワトスンに事件現場から何がわかるか試し、ワトスンが自身の考えを披露するものの、重要なことを見落とすシーンが数度登場します。
仮説推論はある事実から仮説を考えて、推論を行う手法ですので、「事実」を見落としてしまっていれば、そこから導き出される仮説も価値を損ねてしまいます。
そのため、仮説推論を駆使して真実を見つけるには、鋭い観察が必要になります。
初歩的な問題
シャーロック・ホームズが初めて世に出た「緋色の研究」には、ホームズの書いた文章が新聞に掲載されています。その内容は以下のとおりです。
この道を求める者は、最も難解な精神面の推理を始めるより先に、初歩的な問題をこなすことから始めるといい。ある男性と出会ったときに、まず一目で男の経歴から職業まで見て取れるくらいにはなるべきだ。かかる訓練は面倒かもしれないが、ひいては観察能力をとぎすませ、目のつけどころを教えてくれることとなる。
アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle 大久保ゆう訳 緋のエチュード A STUDY IN SCARLET(青空文庫より)
「この道」というのは、「分析と演繹の学問」を意味しています。そして、この分析と演繹の学問こそ、ホームズが考える科学的思考法のことです。
つまり、ホームズは科学的思考法を身に付けるには、会った人の経歴から職業まで一目で見抜ける観察力を磨くべきだと言っています。
初歩的なこと
ホームズの有名な台詞に「初歩的なことだよ、ワトスン君」というものがあります。
この台詞自体は原作にないもので、舞台で決め台詞として使ったものが広まったと言われています[5]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9B%B2%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7。
しかし、この台詞のもとになった台詞が「背中の曲がった男」というタイトルで知られる話の中で登場します。
この中でホームズは、久しぶりにあったワトスンを一目見て「この頃は割に仕事が忙しそうだね。」と言い当てます。「すばらしい演繹だ」と驚くワトスンに対しホームズが言った言葉が「初歩だよ。」という台詞です。
ホームズは続けてこのようにも述べています。
推理の結果がそばにいる者にとって目を見はるようになるのは、その者が演繹の基点となるささいな一点を見逃しているからだ。
三上於菟吉訳 大久保ゆう改訳 曲れる者 THE CROOKED MAN アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle(青空文庫より)
つまり、推理の結果に驚くのは、観察を怠って演繹の起点となる情報を見逃しているからだということです。
ホームズの演繹とは、先ほど紹介したように仮説推論に近いものですが、観察が未熟であれば、真実に辿り着く仮説も導き出せません。
基礎知識と観察と想像力
このように、観察をして得られたデータを基礎知識と組み合わせ、想像力を働かせながらホームズは仮説を立てていきます。
ここでいう「想像力」は、アーティストの想像力とは異なると、『シャーロック・ホームズの思考術』の著者・マリア・コニコヴァは言っています[6]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』187頁。。
ホームズの科学的思考法でいう想像力はアーティストの想像力のように、曖昧で抽象的なものではなく、事実に根付いていて、具体的で、詳細なものです。ホームズの物語の中で言えば、科学的真実や殺人の解決、あるいはそれとはまったく違う人生の決定や問題といったことを推論するための基礎となるものが、推理に役立つ想像力です[7]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』188頁。。
それでもホームズにはなれない ~観察を邪魔するもの~
ここまで見てきたように、ホームズの科学的思考法とは、観察と仮説推論から成り立っています。
観察により情報を得て、その情報を基点に仮説を立て、その仮説の中から不可能なものをすべて消去し、残ったものが真実ということです。
これだけを聞くと、とても簡単なように思えます。しかし、実際には劇中のワトスンのように、ホームズの真似をしようとしてもうまくいきません。
それは、演繹の能力がホームズに及ばないというだけでなく、多くの人は観察の際に短慮やバイアスによって誤った判断をしてしまいます。
ホームズのような推理力を身に付けるには、観察を第二の天性とし、思考の訓練をしながら、必要な情報を見逃さず、誤った判断をしないようにしなければなりません。
観察を邪魔する主な要因は短慮や認知バイアスです。短慮については二重プロセス理論で詳しく解説しています。
それぞれの内容については下記の記事もご参照ください。
参考
書籍
- マリア・コニコヴァ(著)、日暮雅通(訳)『シャーロック・ホームズの思考術』早川書房、2016年
Webページ
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB(2023年10月10日確認)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9B%B2%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7(2023年10月10日確認)
- https://www.aozora.gr.jp/cards/000009/files/55881_50044.html(2023年10月10日確認)
- https://www.aozora.gr.jp/cards/000009/files/54911_47220.html(2023年10月10日確認)