短慮のワトスン・システムと熟慮のホームズ・システム ~要約『シャーロック・ホームズの思考術』その2~
なぜワトスンは間違い、ホームズは真相にたどり着けるのか?
世界一有名な探偵シャーロック・ホームズは、観察と仮説推論による推理によって、難事件を解決していきます。
「観察」と「仮説推論」だけであれば、誰でもホームズになれるような気がします。
しかし、劇中でワトスンが推理の間違いを指摘されるように、ホームズのような推理をするのは容易ではありません。
なぜワトスンは間違った推理を展開し、ホームズは真相にたどり着けるのでしょうか?
今回は『シャーロック・ホームズの思考術』をもとに、ホームズのマインドフルネスに注目してその理由を考えていきます。
「観察」と「仮説推論」にもとづくホームズの科学的思考法については、下記の記事で解説しています。
ワトスン・システムとホームズ・システム
脳という屋根裏部屋
『シャーロック・ホームズの思考術』の著者であるマリア・コニコヴァはワトスンとホームズの違いは脳という屋根裏部屋にあると考えました。
「屋根裏部屋」という表現は、「緋色の研究」に出てくるホームズの台詞に由来します。
思うに、そもそも人間の頭脳は、何もない屋根裏の小部屋のようなもので、選りすぐりの家具を揃えておかなければならない。未熟者は出会ったものすべてを雑多に取り込むから、役立つはずの知識が詰め詰めになるか、せいぜい他とない交ぜになって、挙げ句の果てには取り出しにくくなる。しかし腕の立つ職人なら、頭脳部屋にしまい込むものにはとても敏感になる。仕事の役に立つ道具だけを置いておくのだが、各種全般を揃え、完璧に整理しておこうとする。
アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle 大久保ゆう訳 緋のエチュード A STUDY IN SCARLET(青空文庫より)
つまり、人間の記憶には限りがあるから、必要な情報のみを残しておくということです。
ホームズは必要な情報を記憶に残しているから、その情報を基点にして仮説を立て、推理を展開することができます。
見るだけでなく、観察する
屋根裏部屋にどのような情報を取り入れるかは、仮説推論と並んでホームズの推理に大切な「観察」によるところが大きいです。
つまり、観察力の違いがホームズとワトスンを含めた多くの人との決定的な差になっています。
しかし、ホームズが「ボヘミアの醜聞」の話の中でワトスンに「見てはいるが、観察していない」と注意をするように、必要な情報を適切に汲み取ることは容易ではありません[1]https://www.aozora.gr.jp/cards/000009/files/226_31222.html。
推理の邪魔をするもの
また、世の中には人の判断を誤らせる認知バイアスが多くあります。たとえば、私たちは「5,020円」の商品が「5,000円」になるより、「5,000円」の商品が「4,980円」になるほうがお得に感じることがあります。
これは「アンカリング効果」と呼ばれる認知バイアスですが、このような心理効果が世の中にはあふれており、人の判断を誤らせます。
認知バイアスは観察の際に取り入れる情報を誤らせるだけでなく、その後の推理のミスの原因にもつながります。
認知バイアスについては、他の記事でも取り扱っています。「言われてみると、たしかにそうだ」という面白い効果が多いので、ぜひご覧ください。
ワトスンとホームズの違い
マリア・コニコヴァは必要な情報を見落としたり、認知バイアスに騙されて誤った情報を取り入れたりする思考を「ワトスン・システム」、ホームズのように認知バイアスを退け、適切に情報を取り入れる思考を「ホームズ・システム」として、話を進めています[2]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』37頁。。
では、ワトスン・システムではなく、ホームズ・システムの思考を働かせるにはどうすればよいのでしょうか?
ワトスン・システムとホームズ・システムは、二重プロセス理論がもとになっています。
二重プロセス理論については下記の記事をご参照ください。
ホームズの観察力
マリア・コニコヴァはホームズの観察力の要素を以下の4つにまとめています[3]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』128頁。。
- 選択力をもつ
- 客観性をもつ
- 包括的に見る
- 積極的に関与する
ここからは、これらの4つの要素を解説していきます。
選択力をもつ
「選択力をもつ」というのは、目標を達成させるために必要な情報を考えて観察するということです。
「選択力をもつ」ことの大切さを表しているのが、カクテルパーティ効果です。
カクテルパーティ効果とは、騒々しいパーティ会場であっても、自分に関する話や必要とする情報は聞こえるという心理効果です。
このカクテルパーティ効果が示しているように、人は気にかけている情報については、上手く収集することができます。
その一方で、注意を払っていない情報については上手く取り入れることができません。
ホームズがワトスンに初めて会った時、すぐに「アフガニスタンから帰って来た軍医」とわかったのは、もともとホームズが「一目で男の経歴から職業まで見て取れるくらいにはなる」ように注意し、訓練をしていたからです[4]https://www.aozora.gr.jp/cards/000009/files/55881_50044.html。
カクテルパーティ効果については、下記の記事で詳しく解説しているので、ぜひご覧ください。
客観性をもつ
観察では客観性も重要です。ワトスン・システムの思考では、主観的で、自分に都合の良い仮説推論で話を結論付けようとしてしまいます。
では、客観性はどのように訓練すればよいのでしょうか?
『シャーロック・ホームズの思考術』では「効果的な訓練のひとつは、状況を始まりから全部、何も知らない他人に対して説明するように、声に出すか紙に書いて描写すること」と書かれています[5]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』146頁。。
包括的に見る
客観性と似ている要素に、「包括的に見る」があります。つまり、部分的な情報だけでなく、全体の情報を広く見るということです。
とくに『シャーロック・ホームズの思考術』の中では「不在情報の無視」「デフォルト効果(初期設定効果)」に注意するように促しています。
この2つの現象については、下記の記事もご参照ください。
積極的に関与する
以上の要素を支えているのが「積極的に関与すること」です。
ホームズの物語で言えば、事件に積極的に関与し、能動的に関わるということです。
その一方で、目の前のことに追われ、マルチタスクになってしまうと、脳は情報を適切に整理できなくなってしまいます[6]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』172頁。。
ホームズは瞑想するように、目を閉じて、両手の指先を合わせて話を聞いたり、考え事をしたりします。これによりホームズは現在に集中し、適切な情報は何かを考え、それ以外の情報を遮断しています。
このホームズのように、自分にとって本当に重要な物事に積極的に関わる時間をもつことで、観察に必要な注意力を培うことができます[7]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』177頁。。
事実に基づく推理をする
邪魔をする認知バイアス
観察力を磨き、必要な情報を得られるようになったら、次はその情報ともともと培ってきた基礎知識から仮説を立て、推理をしていきます。
推理の際に注意しなければならないのは、さまざまな認知バイアスです。
人間の脳は「原因」と「因果」が結びついていないと落ち着かないため、一貫性のある「物語(ナラティブ)」を形成しようとします[8]前掲『シャーロック・ホームズの思考術』261頁。。
これにより、認知バイアスによる安易な結論に脳が飛びついてしまい、判断を誤らせてしまいます。
マインドフルネスで多面的に考える
この認知バイアスを振り払うためにも、マインドフルネスは有効です。
ホームズの有名な台詞にもあるように「不可能なものをひとつずつ取り除いていけば、あとに残るものが、どんなにありそうにないことでも、それが真実」と考え、現在の問題に集中し、あらゆる可能性を考えることが大切です。
参考
書籍
- マリア・コニコヴァ(著)、日暮雅通(訳)『シャーロック・ホームズの思考術』早川書房、2016年