【人類はAIに仕事を奪われる!?】『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』のあらすじをざっくり解説
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の大筋
現在は第3次AIブームと呼ばれていますが、実際AIはどこまで人間に近づいたのでしょうか?
今回ご紹介する本は2018年に出版された『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』です。
この本では、人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクターである作者の新井紀子先生が、AIができること、できないこと、そして人間ができなくなってきていることを解説してくれています。
今回の話は動画にもなっているため、こちらもご覧ください。
AIは何ができるのか?
AI技術ができること
本書のすばらしいところは、AI研究の第一線で活躍されている新井先生から、「AIに何ができるのか」「AIには何ができないのか」を学べることです。
今日、安易になんでもかんでも「AI」「AI」と言っていますが、「AI」と呼ばれているものは、正しくは「AI技術」であり、「真のAI」、つまり人工知能を実現させる過程の技術です。
マンガや映画にでてくる、人間のようなロボットが人工知能(AI)のゴールだとすれば、このゴールを実現するために目や耳の機能を作っているのがAI技術というイメージでしょうか。
画像認識技術や音声認識技術などのAI技術は近年飛躍的に高まったものの、それは最終的なAIに使われる目や耳が少しできたかな程度の話で、あくまで計算機の域をでません。そのため、四則計算や確率、統計、パターン化されたものを繰り返し実行することを得意としています。
AI技術が苦手とするもの
一方で、言葉の理解は難しいことが本書では紹介されています。
この本から例を借りると、たとえば「山口と広島に行った」という言葉を、今のAI技術では正確に理解することができません。
人間であれば前後の文脈から「山口」という名前の人と広島に行ったのか、それとも山口県と広島県に行ったのかを理解できるのですが、AI技術ではなかなか判断ができないようです。
AI技術の未来
また、AI技術では創造やデータの解釈もできないので、最近話題のビッグデータで何かデータを解析しても、最終的にそのデータを解釈するのは人間です。
これはITの仕事をしているので、AI技術の舞台裏がわかるのですが、「AIが自動的に提案してくれる」系のIT技術は、ある一定のパターンに対して、それがどういう意味なのかを人間が解釈して結果を表示させているだけで、コンピュータが考えているわけではありません。
解析はできるけれども、解釈はできないというのが、AI技術の限界です。
AIを恐れる人の中にはシンギュラリティ、つまりAIが人間を超える事態が発生すると考える人もいるのですが、今のAI技術ではシンギュラリティはこないと新井先生は言っています。
しかし代替される仕事が多くあることも、この本では語られています。
これはこの本に限らず、さまざまなメディアで語られていることですが、税金の計算や融資の査定など、こうした仕事はパターン化されたものを計算する作業が多いため、AI技術は効果的です。
こうしたAI技術と仕事を奪い合う世界にもうすでに突入しています。
人間(子ども)ができなくなっていること
これまでお話ししてきたように、AI技術は考えることができません。
そのため、AI技術に仕事を奪われないためには、AI技術にはできない「意味を理解する能力」が人間に求められるようになります。
しかし、最近の子どもは論理的に考えられない、さらには簡単な読解もできなくなってきているという話がこの本の後半戦です。
子どもたちがどのような問題に取り組んできたのかに、この本の後半戦はかなりの紙数を使っています。
1問だけ引用してみましょう。以下の2つの文章は、同じ内容でしょうか?それとも異なっているでしょうか?[1]新井紀子『 AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社、2018年、 Kindle版、205頁。
- 幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。
- 1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。
正解は「2つの文章の内容は異なる」です。この問題の正答率は中学生が57%、高校生が71%です。
この問題は「同じ」か「異なる」の二択しかないので、新井先生の言葉を借りれば、中学生の正答率はコインを投げて選択肢を決めた状態と大して変わりません。
このように、文章の理解ができているかのテストを、さまざまな角度から行った結果、子どもの読解力はAI技術程度しかないことがわかってきます。
AI技術に人間が勝る点が読解力であるはずなのに、人間の読解力がAI技術並みに落ちているということです。
残念ながら、これまではAIに代替されるような教育しかされていませんでした。
しかし、子どもの読解力に何が影響しているのかはわかっていません。
新井先生たちは読解力に対しても、子どもにアンケートをとり、読解力と因果関係のある要素を発見しようとしました。しかし貧困だけは読解力と負の相関があることがわかったものの、その他に決め手になる要素は発見できませんでした。
新井先生自身も精読や深読で培われるかもという感想を述べるのみです。
AI恐慌が起こる?
最後に新井先生はAI技術がさらに浸透した世界の暗い未来を紹介しています。
会社は人材不足で悩んでいるのに、巷では失業者があふれかえっているという状態です。
会社がどのような人材を求めているかといえば、AI技術にできないことをしてくれる人です。つまり情報や文章を理解し、考えられる人を探しています。
しかし、失業者はAI技術で代替できるような、読解力のない人材です。
はたして、このような未来は来てしまうのでしょうか。
本書の感想
今回の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』はさまざまなAIに対する幻想を打ち払いつつも、AI技術の現状を伝え、これからの人類に警鐘を鳴らしている良書だと思います。
ここからは、この本の感想を書いていきます。
まずは、ほぼ日の話です。新井先生はAI技術が発達した世界で、ほぼ日のように、オリジナリティのある製品・サービスを発信できる企業をこれから目指すべきとしています。
ほぼ日とは、コピーライターである糸井重里さんの会社です。従業員100人ちょっとの、けっして大きいとは言えない規模ながらも2017年3月16日にほぼ日はJASDAQに上場しました。
ほぼ日の売上の7割は、糸井重里さんたちが考えたオリジナリティあふれる手帳・ほぼ日手帳が占めているといわれています。
大量生産は機械にまかせて、ほぼ日手帳のようなオリジナリティで勝負していくというのが、AI技術が発達した社会でのビジネスだと新井先生は紹介していますが、私もまったく同意見です。
ほぼ日のようにオリジナリティあふれる中小企業がこれからどんどん現れることを期待します。
一方で、この本で語られているようなAI恐慌はこないのではないかと考えています。私のイメージですが、考えられる人は高い報酬で考える仕事をし、AI技術をはじめとする機械と考えられない人をマネジメントします。考えられない人はAI技術を入れるとコストがかかってしまう仕事を安い報酬でするようになると思います。
そのため、格差は広がっていくものの、恐慌にはならないのではないかと考えます。
この私の考えはAI技術が発展した未来を占った『機械との競争』から影響を受けています。
この本についても、また改めて紹介したいですね。
最後に、今回の本の中で一番面白かったのが、読解力と経済力との関係です。
これまでも、親の経済力が学力と関係があることが、『学力の経済学』などで語られていました。
新井先生たちの調査で貧困が読解力と負の相関があるとわかったことは、親の経済力が子どもの学力や賢さに影響を与えているという説を補強しそうです。
しかし、なぜ親の経済力が子どもの読解力に影響するのでしょうか?
親の経済力が子どもに影響を与えているといわれると、「塾などの教育にお金をかけられるからだ」と思いがちですが、新井先生たちの調査では、「塾に行っているかどうか」と読解力には相関がなかったようです。
つまり、親に経済力があれば、子どもに質の良い教育を受けさせることができるから、子どもが賢くなるという単純な話ではないようです。
私の考えとしては、読解力がない家庭の親が貧困になり、その親から教育を受けている子どもの読解力が低くなるということではないかなと思います。
いずれにしても、「読解力」というのが、AI技術が発達した社会で生き残るための、重要な能力になりそうですね。この「読解力」については、これからも注目していき、面白い本があれば紹介していきたいと思います。
<ライター・Rosh>
注
↑1 | 新井紀子『 AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社、2018年、 Kindle版、205頁。 |
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