社会規範と市場規範がモチベーションを左右する ―社会規範と市場規範の違いを解説―

2021年11月2日

社会規範と市場規範とは何か?

親切のちょっとした違和感

小さな親切でもらったお金で、何か複雑な気持ちになったことはないでしょうか?

例えば、あなたが毎日親切心でオフィスの掃除をしていたとしましょう。
ある日、あなたの姿が経営者の目に留まり、「ごみを捨てたら100円賞与に加算する」という制度を作りました。
その時、あなたはどう思うでしょうか。「今までタダ働きだったのにラッキー!」と思うでしょうか。
おそらくそんなことはありません。むしろ「そんなに安くないはず!」と感じるでしょう。
さらには、誰も見ていないところでごみを捨てることが馬鹿馬鹿しくなって、そのうち今まで無償でしていたごみ拾いを止めてしまうでしょう。

実はこの心の動きには「社会規範」「市場規範」というものが大きくかかわっています。

今回はこの社会規範と市場規範について説明していきましょう。

マッサージ師と通訳士の例

社会規範と市場規範との違いを知るために、たとえ話から始めましょう。

あなたがマッサージ師だったとします。今日もあなたはお年寄りを中心に施術をして、業務を終えました。
自宅の前で、腰を痛めて歩くのもままならないお隣のおばあちゃんの姿を見つけました。
気の毒になったあなたはおばあちゃんの部屋でマッサージをしました。
おばあちゃんはお礼としてお金を差し出そうとします。
その時、あなたは受け取るでしょうか。
おそらくすぐには受け取らないでしょう。何度も固辞した後、どうしてもと差し出されてしぶしぶ受け取る程度でしょう。

あるいは、あなたが英語の通訳士だったとしましょう。
日々通訳をしてお金を稼いでいますが、日本語が話せず道で困っている外国人に対して、「お金をくれたら通訳してあげるよ」というでしょうか。
おそらくお金の話はおろか、通訳士であることも明かさず、悩みを聞いてあげるはずです。

社会規範と市場規範の違いが気持ちを変えさせている

マッサージ師は同じ老人に対してマッサージを行うのに、片一方からはお金を、片一方は無料で対応を行いました。
通訳士も同様、お金をもらう人ともらわない人を分けています。

なぜ同じことをするだけなのに、一方ではお金をもらうことが当たり前であり、もう一方はお金をもらうことがはばかられるのでしょうか。

その理由は、人間が社会規範と市場規範という2つの世界を切り替えながら生きているからです。

社会規範:道徳の世界

社会規範とは、道徳によって成り立つ世界です。
その世界での判断は道徳的であるかそうではないか、人としてどうすべきかで決められます。
先ほどのマッサージ師の例でいうと、困った人を助けるということは、人として当たり前のことで、そこに対価が得られるなどとは考えてもいません。

市場規範:お金の世界

一方で、市場規範とは、市場のルールや経済理論に支配されている世界です。
損か得か、儲かるか否かで物事が判断されます。
あなたのお客さんが30分のマッサージをしてほしいと言ってきたら、その料金としてどのくらいの金額をもらえば施術してもよいかを考える世界です。

往々にして社会規範に則って行動しているほうが、市場規範で動いている場合に比べて、質が高く有益である傾向があります。

市場規範が進出してきたら社会規範は後退する

このように人は社会規範で行動するほうが、よい結果をもたらしやすいのですが、人の社会規範というのはすぐに市場規範の進出を許してしまいます。

冒頭でお話ししたごみ捨ての例のように、道徳で動く社会規範の世界は、容易に市場規範の進出を許してしまいます。
どういうことかというと、「ごみ拾い」や「人助け」など、なかなか進んでやらないことに対して、経営者などの組織管理者は「お金を出していればやってくれるだろ?」と安易な制度を採用しがちです。

しかし、逆に市場のルールで動いている世界に社会規範を持ち込むことは容易ではありません。一度ごみ拾いでお金がでるという制度になったのに、「やっぱりやめます」となってしまえば周りから批判が殺到しますし、ますます誰もごみ拾いをしなくなります。

善意の行為に対して一度対価が提示されてしまえば、その対価なしに人は動かなくなってしまうのです。

安易な報酬に頼らず、企業文化として改善していく

それではもし社員・スタッフに職場環境を改善するため、ごみ拾いを定着させたい場合はどうしたらよいのでしょうか。
その時は難しいことを考えず、会社のルールや企業文化として定着させていくことが肝要です。
工場管理や職場環境の維持改善のスローガン・5Sで掲げられる「しつけ」をもって、ごみ捨てという美徳を定着させることです。

何も対価がなければ、短期的には社員やスタッフの反感を買うかもしれませんが、長期的にみれば彼らの自発性を養うことになり、対価を支払った時よりも高い効果をあげることができるでしょう。

実は子育ても同じ ‐まとめにかえて‐

今回は人間がもつ社会規範と市場規範の世界についてみてきました。

社会規範と市場規範の考えは実は子育てでも同様です。
巷でお母さんとその子供の会話に耳を傾けてみると、「おとなしくしていたらおもちゃを買ってあげる」「お手伝いしてくれたらお小遣いをあげる」というような約束事をしていることがあります。

これも市場規範の進出の例であり、本来であればうるさくすることは周りの迷惑になるため、道徳的にしてはいけないことですし、同じ家族でいるのであればお母さんの手伝いをすることに対価は必要ないはずです。
しかし、これらの行為に対して報酬をお母さんが提示してしまうため、お母さんのいないところではうるさくしてしまい、お小遣いがなければ手伝わないという子供を作り出してしまいます。

上記のごみ捨てと同じように、道徳的な美徳や善意に対しては対価をつけず、ルールや文化をもって対応していくことが必要なのです。

参考文献

ダン・アリエリー『予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』(熊谷淳子訳)ハヤカワ・ノンフィクション文庫、2013年