計画書を作ったのに、プロジェクトが進むにつれて関係者との認識がずれていく。そんな経験はないでしょうか。
ステークホルダー・エンゲージメントのマネジメントは、まさにそのズレを埋め続けるためのプロセスです。計画を立てる工程ではなく、立てた計画を持って実際に人と向き合う工程にあたります。この記事では、PMBOK第8版の内容にもとづいて、このプロセスで何をするのかを整理していきます[1]Project Management Institute, Inc., A Guide to the Project Management Body of Knowledge (PMBOK® Guide) – Eighth Edition(日本語版), 第2部 … Continue reading。
ステークホルダー・エンゲージメントのマネジメントの概要
このプロセスは、ステークホルダーとコミュニケーションを取りながら協働し、そのニーズや期待に応え、発生した課題に対処し、適切な関与を促していく活動です。
このプロセスの主な利点は、プロジェクトマネージャーが ステークホルダーからの支持を高め、抵抗を最小限に抑えられる ことにあります。
ここは押さえておきたいところです。目的は「関係者と仲良くすること」ではなく、支持を増やし、抵抗を減らすことです。プロジェクトを前に進めるための活動であって、人間関係そのものが目的ではありません。この線引きがあると、どこまでやるべきかの判断がしやすくなります。
「計画」ではなく「実行」のプロセス
ステークホルダーに関するプロセスは、大きく次のように並びます。
| プロセス | 性格 |
|---|---|
| ステークホルダーの特定 | 誰がいるかを把握する |
| ステークホルダー・エンゲージメントの計画 | どう関わるかの戦略を立てる |
| コミュニケーション・マネジメントの計画 | 何をどう伝えるかを設計する |
| ステークホルダー・エンゲージメントのマネジメント | 実際に関わり、ズレを直し続ける |
計画系のプロセスが節目ごとに実施されるのに対し、このプロセスは プロジェクトの開始から終了にいたるまで、期間を通じて継続的に実施されます。
つまり、日々の打ち合わせ、報告、相談、交渉といった行為のほとんどが、このプロセスの中身だということになります。特別な作業をする時間ではなく、すでにやっている仕事に名前がついたものと捉えたほうが実態に近いと思います。
第8版で焦点が当たる「スポンサーとの協働」
PMBOK第8版でこのプロセスを読むと、一般のステークホルダーだけでなく、スポンサーとの協働と、スポンサーの適切な関与の促進に強い焦点が当たっていることが分かります。
スポンサーは、プロジェクトの意思決定権と予算を持つ立場です。ここが関与していないプロジェクトは、判断が必要な場面で止まります。逆に、関与しすぎて現場の裁量がなくなっても進みません。「適切な関与を促進する」という表現には、その両方の意味が含まれています。
受託の立場で言えば、クライアント側の決裁者がこれにあたります。担当者とは頻繁にやり取りしているのに、決裁者とは要所でしか接点がない、という状態には注意が必要です。決裁の場面で初めて情報が届くと、そこまで積み上げた合意が一度でひっくり返ることがあります。判断してもらう相手を、判断が必要になる前から巻き込んでおく。 これがこのプロセスの実務的な核心です。
このプロセスのインプット
プロジェクトマネジメント計画書
- ステークホルダー・エンゲージメント計画書:誰に、どのレベルで関与してもらうかの戦略。このプロセスは、この計画を実行に移すものです
- コミュニケーション・マネジメント計画書:誰に、何を、どの方法で伝えるかの設計
- リスク・マネジメント計画書:リスクへの対応方針。ステークホルダーの態度そのものがリスクになることもあります
- 変更マネジメント計画書:変更をどう申請し、どう承認するか。エンゲージメントの過程で生じた要望は、ここを通して処理します
プロジェクト文書
- 課題ログ:発生した課題と担当、期限の記録
- 変更ログ:変更要求とその処理状況
- ステークホルダー登録簿:関係者の一覧、期待、関与レベル
- リスク登録簿:ステークホルダーに関連するリスクを含む
- 教訓登録簿:過去のプロジェクトで、どんな関わり方がうまくいき、何が失敗したか
- 状況報告書:現在の進捗と実績
- プロジェクト・スケジュール:いつ、誰の関与が必要になるか
組織体の環境要因(EEF)・組織のプロセス資産(OPA)
組織文化、政治情勢、リスク許容度、既存のコミュニケーション経路、過去の類似案件の記録などです。
インプットの顔ぶれを見ると、計画書だけでなく「いま起きていること」を記録した文書が多く並んでいることに気づきます。課題ログ、変更ログ、状況報告書。このプロセスが継続的に実施されるものだという性格が、インプットの側にも表れています。
このプロセスのツールと技法
専門家の判断
組織の政治構造や、過去の類似プロジェクトでの関係者対応に詳しい人の知見を借ります。
コミュニケーション・スキル:フィードバック
第8版でコミュニケーション・スキルとして挙げられているのが フィードバック です。
これは、こちらの伝えた内容が正しく理解されたかを確認し、相手の反応を受け取る双方向の対話を指します。前回の記事で触れたとおり、メールや報告書といったプッシュ型の伝達は、情報が届いたことも、正しく理解されたことも保証しません。その保証されない部分を埋めるのがフィードバックです。
人間関係とチームに関するスキル
このプロセスには、対人スキルが集中的に並びます。
- コンフリクト・マネジメント:利害が対立したときに、それを解消へ導く技術
- 文化的な認識:多様な背景を持つ相手に合わせて振る舞いを調整する能力
- 交渉:双方が合意できる着地点をつくる技術
- 観察/対話:チームや関係者の状況を、報告書ではなく直に把握する
- 政治的認識:組織内の力学と、実際の影響力の所在を把握する
観察/対話は見落とされやすい項目です。報告書に「順調」と書かれていても、現場の様子を見ると手が止まっている、ということは起こります。数字と文書だけで状況を判断せず、直接見に行き、話を聞く。この地道な行為が技法として明記されているのは、それだけ効果が大きいということだと思います。
行動規範
チーム内やステークホルダーとの関わりにおける、行動と倫理のガイドラインです。「決定事項は必ず文書に残す」「発言は役職ではなく内容で扱う」といった取り決めがこれにあたります。
対立が起きてから決めようとすると、規範そのものが交渉の材料になってしまいます。穏やかなうちに決めておくものです。
会議
キックオフ、定例会、意思決定のための会議、課題解決のための会議などが該当します。
プロジェクトマネージャーが実際にやっていること
第8版の記述を、実務の動作に翻訳すると次の3つになります。
1. 期待値のマネジメント
ステークホルダーが持っている「期待」と、プロジェクトの「現実(スコープや目標)」が離れていかないよう、合意事項を繰り返し確認していく仕事です。
期待は、放っておくと勝手に膨らみます。悪意があるわけではなく、進行中に見えてくるものが増えれば、要望が増えるのは自然なことです。だからこそ、定期的に「今、私たちが作ろうとしているのはこれです」と言い直す必要があります。
2. プロアクティブな課題解決
課題ログと変更ログを使い、提起された問題に素早く対処します。ここで大切なのは速度そのものではなく、放置しないことです。
課題は、放置されると内容以上の意味を持ちはじめます。「あの件、どうなったんだろう」が「この人たちは対応してくれない」に変わるまでは、そう時間がかかりません。不信感が生まれてからでは、同じ課題を解決しても関係は元に戻りません。課題ログの本当の役割は、対応漏れを防ぐことよりも、対応していることを見えるようにすることにあると考えています。
3. 対人スキルの活用
交渉、コンフリクト・マネジメント、政治的認識といった技法が並んでいるとおり、このプロセスはリーダーシップの発揮そのものを求めています。
ただ、これらは天性の資質というより、準備の量で差がつく種類の技術だと感じます。相手が何を守りたいのかを事前に把握しておけば、交渉の場でひねり出す必要はありません。対立が起きたときも、双方の立場を先に理解していれば、着地点は見つけやすくなります。
このプロセスのアウトプット
変更要求
ステークホルダーとの協働の中で生じた新たなニーズ、スコープの調整、予防処置などを、正式に申請するものです。
要望を口頭のやり取りのまま抱え込まず、変更要求という形に載せることで、承認・却下の判断が組織のプロセスに乗ります。「言った・言わない」を避けるためにも、ここは形式を踏んだほうが結果的に楽になります。
プロジェクトマネジメント計画書の更新
- ステークホルダー・エンゲージメント計画書:関与レベルの実態が計画と違っていれば、戦略を見直します
- コミュニケーション・マネジメント計画書:伝達の頻度や方法が実態に合っていなければ、こちらも更新します
プロジェクト文書の更新
- 課題ログ:新たに発生した課題の登録と、対応状況の記録
- 変更ログ:変更要求の処理状況
- ステークホルダー登録簿:関与レベルや態度の変化を反映
- 教訓登録簿:この関わり方はうまくいった、これは失敗した、という記録
教訓登録簿がアウトプットに入っている点は、地味ですが重要だと思います。関係者対応の経験は、記録しないとその人の中だけに残ります。次のプロジェクトで別の担当者が同じ失敗を繰り返すのを防ぐには、書いて残すしかありません。
実務でどこから手をつけるか
小〜中規模のプロジェクトで、私が意識しているのは次の3点です。
1. 決裁者と、要所の前に一度話しておく
決裁の場が初対面に近い状態だと、その場で判断してもらうのは難しくなります。判断してもらう内容の背景を、少し前の段階で一度伝えておくだけで、通り方が変わります。
2. 課題は、解決前でも状態を返す
すぐ解決できない課題でも、「確認中です」「来週までに回答します」と状態を返すこと。返答がない時間が長いほど、相手の中で問題は大きくなっていきます。
3. 決まったことを、その日のうちに文字にする
打ち合わせの結論を、簡潔でよいのでその日のうちに文書化して共有します。認識のズレは、時間が経つほど直すコストが上がります。フィードバックという技法を、いちばん軽い形で実行する方法でもあります。
いずれも特別なことではありません。ただ、これらが崩れたプロジェクトが後でどうなるかを考えると、続ける価値のある習慣だと思います。
まとめ
ステークホルダー・エンゲージメントのマネジメントは、計画を立てるプロセスではなく、立てた計画を持って人と向き合い続けるプロセスです。目的は、支持を高め、抵抗を最小限に抑えること。そのために期待値をそろえ直し、課題を放置せず、交渉や対話といった対人スキルを使っていきます。
PMBOK第8版では、とくにスポンサーとの協働と、その適切な関与を促すことに焦点が当てられています。判断してもらう相手を、判断が必要になる前から巻き込んでおく。ここが崩れると、積み上げた合意は一度でひっくり返ります。
派手さのない、日々の積み重ねの話です。それでも、プロジェクトが最後まで走りきれるかどうかは、この積み重ねで決まってくるように思います。
注
| ↑1 | Project Management Institute, Inc., A Guide to the Project Management Body of Knowledge (PMBOK® Guide) – Eighth Edition(日本語版), 第2部 2.5.2.4(212頁、215頁、および図2-36)より要約。 |
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