「逆アクラシア」とは何か?マニュアルや理屈を超えてプロジェクトを救う「人間の良心」

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SSAITS代表・山脇弘成

山脇 弘成(SSAITS(サイツ)代表)

PMP®有資格者・Webプロジェクトマネージャー。
大手メディアや官公庁のWebプロジェクト実績多数。
「技術」だけでなく「対話」を重視し、御社の「ほんとは、こうしたかった」を形にします。

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ルール通りに動くことだけが「正しい」のか?

プロジェクトマネジメントの世界では、計画、ルール、契約、マニュアルといった「理屈」が非常に重視されます。「契約書に書いていないからやらない」「ルールだから切り捨てる」というのは、ビジネス上の理屈としては正しい判断かもしれません。

しかし、実際の現場においてプロジェクトを救い、人々から深い信頼を勝ち取るのは、そうした冷徹な理屈に背いてでも「目の前の人を助けたい」「不誠実なことはしたくない」と動いてしまう、人間の温かい感情だったりします。

最近読んだ倫理学の本の中で、この現象を見事に言い表した「逆アクラシア(Inverse Akrasia)」という非常に面白い言葉に出会いました。今回はこの概念を紹介しつつ、プロジェクトにおける「人間らしさ」の価値について考えてみたいと思います。

「アクラシア」と「逆アクラシア」とは?

「アクラシア」と「逆アクラシア」とは?

まず前提となる「アクラシア(Akrasia)」とは、古代ギリシャの哲学に由来する倫理学の用語で、日本語では「意志の弱さ」と訳されます。
「ダイエット中だから夜中にラーメンを食べてはいけない」「今日中にこのタスクを終わらせるべきだ」と頭では分かっているのに、目の前の誘惑や怠惰な心に負けて、正しくない行動を選んでしまう現象のことです。これは誰もが日常的に経験しているでしょう。

では、その逆である「逆アクラシア(Inverse Akrasia)」とは何でしょうか。

これは「意志の弱さの逆現象」を指します。
本人が頭(当時の社会規範や、誤った道徳的信念、厳しいルールなど)では「こうすることが正しい義務だ」と信じ込んでいるにもかかわらず、内面から湧き上がる感情や道徳的感受性(同情、友情、誠実さなど)ゆえにその信念に従うことができず、結果として「客観的に見て本当に正しい(有徳な)行動」をとってしまう現象のことです。

物語や歴史に見る「逆アクラシア」の3つの具体例

哲学者のロザリンド・ハーストハウスは、著書『徳倫理学について』の中で、この逆アクラシアを説明するために3つの有名な例を挙げています[1]ロザリンド・ハーストハウス『徳倫理学について』第7章「道徳的動機づけ」(柿本佳美 … Continue reading。

ハックルベリー・フィン(『ハックルベリー・フィンの冒険』)

主人公のハックは、当時の人種差別的な社会規範や教育の中で育ったため、逃亡奴隷である友人ジムを「当局に告発することが道徳的に正しい義務だ」と頭では信じ込んでいます。
しかし、いざ告発しようとすると、ジムとの友情や同情心が邪魔をしてどうしても密告することができず、「自分は悪いことをしている(地獄に落ちる)」と悩みながらも、結果としてジムを逃がすという「真に正しい行動」をとります。

ネオプトレモス(ギリシャ神話)

トロイア戦争において、彼は軍の目的を達成するために、孤島に置き去りにされた英雄フィロクテテスを騙して弓を奪わなければならない立場にありました。
「軍のために騙すことが正しい使命だ」と頭では考えていたものの、彼の内面にある「誠実さ」がそれに耐えきれず、土壇場で嘘をつき通すことができなくなってしまいます。

オスカー・シンドラー(『シンドラーのリスト』)

名作『シンドラーのリスト』の主人公であるオスカー・シンドラーは、本来戦争を利用して利益を最大化しようとする抜け目のない実業家でした。
「ビジネスマンとしては冷酷に利潤を追求すべきだ」という理屈で動いていたはずが、目の前で迫害されるユダヤ人への同情心を抑えきれず、結果として自らの全財産を投げ打って多くの命を救うことになります。

「頭の理屈」よりも「心の徳」が真の善を捉える

もし彼らを「決めたルールや信念を貫けなかった」という点だけで評価すれば、それは「意志が弱い失敗行為」に見えるかもしれません。

しかし徳倫理学においては、これらをまったく逆の視点で高く評価します。
つまり、「頭で考えた誤った理屈や硬直したルールよりも、その人の内面にある健全な感情や直感(徳・人間性)の方が、何が本当に正しいこと(真の善)なのかを正確に捉えていた」と考えるのです。

人間は、頭でっかちなマニュアルやアルゴリズムだけで動くロボットではありません。時に理屈を裏切るほどの「心の豊かさ」や「誠実さ」を持っているからこそ、誤ったルールから抜け出し、正しい道を選ぶことができるのです。

プロジェクトの現場で起こる「逆アクラシア」

プロジェクトの現場で起こる「逆アクラシア」

この「逆アクラシア」は、私たちの日々のプロジェクトやビジネスの現場でもしばしば起こります。

たとえば、自社の利益や効率だけを厳密に考えれば、「このバグは契約のスコープ外だから、顧客が困っていても突き放すのがプロジェクトマネージャーとして正しい(会社のルールだ)」と頭では分かっている場面があるとします。
あるいは、納期が迫る中で「多少の品質の粗には目をつぶって、そのまま納品してしまうのがスケジュールを守るための正解だ」と自分に言い聞かせる場面があるかもしれません。

しかし、優れたエンジニアや誠実なPMは、いざその場面に直面すると、内面にある「プロとしての矜持」や「顧客への思いやり」が邪魔をして、冷徹になりきれないことがあります。
「契約外で怒られるかもしれないけれど、やっぱり見捨てられないから手助けしてしまった」「どうしても不誠実な納品はできなくて、正直に顧客に相談して作り直した」。

これは、短期的な「会社のルール」や「効率の理屈」から見れば、意志の弱い行動(ルール違反)に見えるかもしれません。しかし長期的な視点で見れば、その「理屈を超えた誠実な行動」こそが顧客からの絶対的な信頼を生み、チームの誇りを守り、結果としてプロジェクトを本当の意味での成功へと導くのです。

まとめ:マニュアルの奴隷にならないために

プロジェクトを進める上で、ルールや計画、契約といった「理屈」はもちろん大切です。しかし、すべての状況において完璧なルールなど存在しません。組織の論理や効率化の追求が行き過ぎると、私たちはハックルベリー・フィンのように「間違った常識」を「正しい義務」だと錯覚してしまうことがあります。

もしあなたが現場で、「ルールや理屈の上ではこうすべきだが、どうしても心が痛む」「人として見過ごせない」という葛藤(逆アクラシアの兆候)を感じたときは、どうかその内面の声(誠実さや同情心)を押し殺さないでください。

頭で考えた冷たい理屈よりも、あなたの心が感じ取った「違和感」や「優しさ」の方が、プロジェクトにとって本当に正しい道を指し示しているのかもしれないのですから。

注

注
↑1 ロザリンド・ハーストハウス『徳倫理学について』第7章「道徳的動機づけ」(柿本佳美 訳、知泉書館)。「逆アクラシア」の概念自体は、同章で参照されている N. Arpaly & T. Schroeder (1999) “Praise, Blame, and the Whole Self” に由来します
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