最近、朝井リョウさんの小説『イン・ザ・メガチャーチ』を読みました。巨大宗教団体が信者を集めるための巧妙な集客手法、「チャーチマーケティング」の負の側面を鋭く暴いた大変興味深い作品です。

しかし、こうした宗教のマーケティング手法や、人が宗教にのめり込んでいくシステムを、今から60年以上も前にSFという形で克明に描き出している作品がありました。
ロバート・A・ハインラインによるSF界の最大の問題作『異星の客』(1961年発表)です。
火星人・マイクが見た「宗教」の仕組み

本題に入る前に、少しだけ『異星の客』のあらすじをご紹介します。
主人公のヴァレンタイン・マイケル・スミス(通称マイク)は、火星探検隊の生き残りとして火星で生まれ、火星人に育てられた純粋な地球人です。青年になって初めて地球に帰還した彼は、人間の肉体を持ちながら、中身は完全に「火星の思想」を持った異星人でした。
彼は地球の常識や宗教の欺瞞に戸惑いながらも、やがて地球人を救済するために、自ら「すべての世界教会」という新たな宗教を興します。
彼自身は宇宙の真理を理解し、水の上を歩くような超能力すら使える存在です。しかし、彼(というより著者であるハインライン)が新しい宗教を広めるために取った手法は、極めて現実的で計算し尽くされた「マーケティング技術」の塊でした。
完全な本物よりも「ネタが見え隠れする」方がいい

マイクは宗教を立ち上げる前、人間社会を学ぶために場末のサーカス(見世物小屋)で働いていた時期があります。ここで彼は、先輩の手品師から「ショーマンシップ」の真髄を教わります。
火星の精神を持つマイクは、本物のサイコキネシス(念動力)を使えるため、タネも仕掛けもなく物体を空中に浮かせたり、消したりすることができます。
しかし、サーカスに来るお客さんは、そんな「本物の超常現象」を見たいわけではありません。理解を超えた本物の奇跡を見せられると、人間は恐怖し、不気味に感じて拒絶してしまうのです。
そこで先輩はマイクに教えます。「客には、どこかにタネがあるんだろうな、とわかるくらいのインチキ(手品)を見せた方が喜ばれる」のだと。
真理や奇跡をそのまま見せるのではなく、人間が安心して楽しめる「エンターテインメントの枠」に落とし込むこと。これこそが、大衆を惹きつけるショーマンシップの基本でした。
合唱や過大な「演出」の力

このショーマンシップを完全に理解したマイクは、自分で宗教を興すときも「演出」を決して忘れませんでした。
彼の教会での礼拝は、荘厳な合唱が響き渡り、第一の理解者である恋人・ジルを「神々しい女神」のように見立てて登場させるなど、ショーとしての演出が随所に散りばめられています。
マイクにとっては、こんな回りくどいことをしなくても奇跡を起こせますし、真理(すべては神であるという思想)を伝えることは可能です。
しかし、あえて「神聖な儀式(行)をしたからこそ、奇跡が起こった」という演出のオブラートで包むことで、地球人はすんなりと教えを受け入れ、信者を爆発的に増やしていくのです。
組織を維持するための「階層社会」

マイクは、既存の地球の宗教が抱える欺瞞や集金システムを激しく否定していました。しかし皮肉なことに、彼は自分の宗教組織を作る際、既存宗教の最も強固なシステムをそっくりそのまま真似します。それが「階層化(サークル制)」です。
彼の教会では、より上位の階級(奥のサークル)に進むためには、より深い教義の理解が求められ、一定の階層以上になるには「火星語」の習得すら必要になります。
地球のすべての人を救いたいと願いながらも、結果的にシステムは「一部の選ばれた者だけが深い真理に到達できる」という小乗仏教的(あるいはカルト的)な閉鎖性を帯びていきます。
しかし、信者に「もっと上に行きたい」「特別な存在になりたい」と思わせるこの階層構造こそが、宗教という組織を維持・拡大するために最も効率的だと、マイクは冷徹に見抜いていたのでしょう。
「無料」では人の注意を引けない
そして極めつけは、マイクの宗教は信者からしっかりと「お金(お布施)」を取るということです。
理由は極めてシンプル。「人間は、無料のものには注意を払わないし、価値を感じないから」です。
実は私も、個人的に無料のこども教室を運営している身として、この言葉には深く首を縦に振らざるを得ませんでした。まったく同じ内容でも、無料だと人は真剣に向き合わず、対価を払うことで初めて「それに見合うものを得よう」とコミットメント(参加意欲)が高まるというのは、悲しい人間の真理です。


