「相手の気持ちに寄り添い、共感することが大切だ」
「物語は、他者への共感力を育む素晴らしいツールである」
私たちは子供の頃からそう教えられ、社会全体も「共感」の効果を手放しで称賛する傾向にあります。
しかし、本当に「相手に共感すれば世界は平和になる」のでしょうか?
今回は、ジョナサン・ゴットシャルの著書『ストーリーが世界を滅ぼす』の中で語られている「共感のパラドックス(逆説)」について解説します。物語が持つ「人を結びつけるポジティブな力」の裏側に潜む、非常に恐ろしいメカニズムが見えてきます。
物語がもたらす「共感のパラドックス」3つの罠

著者は、物語が生み出す「共感」こそが、現実世界に深刻な分断と憎悪をもたらしていると警告しています。その理由を3つのポイントに分けて見ていきましょう。
共感は「偏見」と同じように判断を歪める
心理学者のポール・ブルームは、「共感は良いものとは限らない」と述べています。
なぜなら、人間の共感は平等ではないからです。私たちは本能的に「身近な者、自分と似ている者、自分と同じ脅威を感じている者」に対して、はるかに簡単に共感を覚えます。
たとえば、頭では「あらゆる人種は平等に大切だ」と理解していても、自分と同じ人種や属性を持つ人が苦しんでいるニュースの方に、より強い感情移入をしてしまう傾向があります。
この点で、共感は「ひいき」を生み出し、偏見とまったく同じように私たちの道徳的判断を歪めてしまうのです。
「私たち」への共感が、「彼ら」との境界線を際立たせる
映画や小説、あるいはSNSの個人的なエピソードなど、物語は私たちに強い共感を呼び起こします。しかし多くの場合、その共感は集団の外にいる「他者(彼ら)」に向けられるのではなく、自分が属する内集団、つまり「私たち」の苦しみや屈辱に対する共感になりがちです。
物語が生み出す共感の主な効果は、「私たちと彼ら」の境界線をぼやかして仲良くさせることではありません。むしろ、「かわいそうな私たち」と「ひどい彼ら」という境界線をくっきりと際立たせ、分断をより深くしてしまうのです。
同胞への「深い共感」が、残虐な暴力を正当化する
私たちは、テロリストや大虐殺を行うような人々を「他人の痛みがわからない、共感力の低いサイコパス」だと考えがちです。しかし、歴史を振り返ると必ずしもそうではありません。
自爆テロ犯の多くは、迫害される同胞への「強い共感と哀れみ」に浸り切って死に赴きます。ルワンダの大虐殺を引き起こしたプロパガンダ物語も、人々の間に巨大な共感を生み出しました。
彼らは、味方の苦しみや困難に「深く共感」でつながっているからこそ、敵を罰する強烈な動機が生まれ、どんな残虐な行為も正義として正当化されてしまうのです。
「共感マーケティング」の危うさ
現代のビジネスやマーケティングにおいても、「ストーリーテリング」や「共感」は非常に強力な武器としてもてはやされています。しかし、このパラドックスを知ると、その危うさにも気づくはずです。
企業や個人がSNSで「共感」を集めようとする時、最も手っ取り早い方法は「共通の敵(仮想敵)を作ること」です。
「今の世の中の〇〇はおかしいですよね。私たちは被害者です」というストーリーを語れば、強い共感で熱狂的なファン(内集団)を作ることができます。しかしそれは同時に、外部への激しい攻撃(炎上やキャンセルカルチャー)を生み出す火種となります。
「共感」は、使い方を間違えればあっという間に刃に変わるエネルギーなのです。
まとめ:物語は「共感の数だけ非情さを生む」
現代はSNSや動画配信を通じてストーリーテリングの技術が爆発的に発展し、世界中で「共感のビッグバン」が起きている時代です。
しかし、物語が人々を「被害者と加害者」「善と悪」のカテゴリーに分類し続ける限り、「物語は共感の数だけ非情さを生む」と著者は結論づけています。
「相手に共感すれば平和になる」と私たちは無邪気に信じています。しかし実際には、その「共感」こそが、誰かを悪魔化して攻撃するための強力なエネルギー源になっている。これこそが、物語と共感が抱える最大のパラドックスです。
誰かの可哀想なストーリーに涙し、強い共感を覚えた時こそ、「自分は今、誰かを攻撃するためのエネルギーを溜め込んでいないか?」と、自らの心に問いかける冷静さが必要なのかもしれません。
参考
- ジョナサン・ゴットシャル(著)、月谷真紀(訳)『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』東洋経済新報社、2022年


