荘子の言葉は心のデトックスの効果があり、『荘子』と出会ってから何か生きづらさを感じると座右の本を読み返します。
そんな『荘子』にビジネスの本質をつくようなことが書かれていました。
今回は荘子と恵子の会話から、ビジネスの本質を考えていきます。
恵子の悩み:大きすぎて「使えない」ひょうたん
荘子には、恵子(恵施)という親友であり論敵がいました。
彼は論理学派の人間で、魏の宰相だったと言われています。
『荘子』の中でたびたび登場し、論戦を繰り広げていますが、敵対する相手というよりかは、互いにじゃれあっている感じの間柄です。
さて、その恵子が荘子にこのような悩みを話します[1]逍遥遊編 第一編。
恵子は仕えている魏の王様からひょうたんの種をもらいました。育てたところ、5石(約19リットル)の水も入るひょうたんがなりました。
水筒にするには大きすぎるし、ひしゃくにするにはへらべったすぎる。
大きすぎて役に立たないと嘆く恵子。
岩波文庫版の訳をされた金谷治先生は「荘子の主張がおおげさで無用なのを風刺した」と注を加えています[2]荘子(著)、金谷治(注釈)『荘子 第一冊 内篇』岩波書店(岩波文庫)、1971年、36頁。

つまり、大きくなりすぎたひょうたんは、「君の話はデカすぎて役に立たないよ」と恵子が皮肉ったものだとも言われています。
荘子の答え:使い方が悪いだけ
しかし、荘子も負けていません。恵子は大きなものの利用が下手だと言って、このようなお話をします。
荘の国に、あかぎれ止めの薬を上手に作って、あかぎれをその薬で防ぎながら、冷たい水で絹わたを晒して商売にしている人がいました。
ある日、その男に一人の旅人が「薬の作り方を百金で買いたい」と言ってきました。
「絹わたを水に晒して仕事をしていても、ただの5、6金にしかならないのに、技術を教えて百金になるなら技術を譲ろう」
そう考えて男は旅人に技術を売ります。
その後、その旅人はどうしたでしょうか?
彼はその薬を呉の王様に売り込み、将軍となりました。
冬の時期、呉の国は越の国と水戦(水上での戦い)を行いました。呉の兵士たちはその薬のおかげで手がかじかむことなく戦うことができ、見事に勝利したのです。
旅人はその功績で、広大な領地を与えられました。
一方、絹わたを水に晒して仕事をしている男はかわらずです。
つまり、ものには有効な使い方というものがあり、「使い物にならない」というのは使い方が悪いだけのことです。

恵子のひょうたんも、そんなに大きいなら舟にでもすればいいのにと言いながら、荘子はこのように述べます。
則ち夫子には猶お蓬の心あるかなと(あなたはまだ、草がぼうぼうに生い茂ったように塞がった心をお持ちですなあ)
ビジネスでもドキっとする荘子の言葉
「あなたはまだ、心が塞がっていますね」
この荘子の言葉は、現代のビジネスシーンにおいても、私たちの胸に深く刺さります。
私たちは普段、自分の狭い物差しだけで「価値」を判断していないでしょうか。
- 「あの部下は、言われた通りの事務処理ができないから使えない」
- → 実は、新しい企画を考えさせたら天才的な発想をするかもしれません。
- 「この商品は、スペックが低すぎて売れない」
- → 実は、その「低スペック(シンプルさ)」こそが、高齢者や子供には最高の価値になるかもしれません。
恵子が巨大なひょうたんを「水筒」という既存の枠組みだけで評価して「役に立たない」と断じたように、私たちも「自分の想定した用途」にハマらないものを、安易に切り捨てていないでしょうか。
まとめ
今回紹介した荘子の言葉は、「使い物にならない」というのは、対象の問題ではなく、使う側の想像力の問題であるという強烈なメッセージです。
もしあなたが仕事で「何かうまくいかない」「あいつはダメだ」と感じた時は、一度立ち止まってみてください。
そして、荘子のあの言葉を思い出してみてください。
「私の心は今、蓬(よもぎ)のように塞がってしまっていないだろうか?」
視点を変え、ひょうたんを水筒ではなく「舟」として見る柔軟さを持てたとき、行き詰まっていたビジネスの突破口が見えてくるかもしれません。
参考文献
- 荘子(著)、金谷治(注釈)『荘子 第一冊 内篇』岩波書店(岩波文庫)、1971年


