「サブスクリプション」という言葉を、ここ数年で急に見かけるようになったと感じている方は多いのではないでしょうか。音楽も、映像も、ソフトウェアも、いつの間にか買うものではなく「毎月払って使うもの」になりました。私たちが仕事で扱うシステムも同じで、パッケージを買い切る案件よりも、SaaSを契約して使い続ける案件のほうが、いまでは多いはずです。
ところがこの仕組みは新しいものではありません。さかのぼると、400年前のロンドンで刊行された一冊の辞書に行き着きます。
この見立ては、佐々木紀彦さんの『編集思考』(NewsPicksパブリッシング、2019年)で紹介されている「サブスクリプションの歴史」に教わりました。同書はサブスクリプションの源流をメディア業界に置いています。読んでみると、これはメディアの話にとどまらず、プロジェクトの発注者とベンダーの関係そのものの話だと感じました。
サブスクリプションは、辞書から始まった
一般に、予約購読(サブスクリプション)によって売られた最初の本とされているのが、ジョン・ミンシューという語学教師が1617年にロンドンで出した『Ductor in Linguas(諸言語への手引き)』です。英語を軸に11の言語を対照させた、当時としては巨大な辞書でした。
ミンシューは1610年の時点で、まだ完成していないこの辞書の内容見本(プロスペクタス)を刷り、大学や法曹学院、聖職者、商人たちに配って回りました。「こういう本を作るので、先にお金を出してほしい」と頼んで歩いたわけです。最終的に417名の名前が集まり、その名簿は本の巻頭に印刷されました。書誌学者のジョン・フェザーは、彼を「内容見本というものの、事実上の発明者」と評しています。
ちなみにミンシューは、417名を集めてもなお印刷の途中で資金が尽き、印刷所を2軒はしごして完成させています。世界初のサブスクリプションは、世界初の予算超過でもあったことになります。
現代の感覚に置き換えれば、これはクラウドファンディングです。完成前に受益者から資金を集め、その資金で作る。「取引が成立してから関係が始まる」のではなく、「関係が先にあって、そこから取引が生まれる」という順序が、この時点ですでに逆転しています。
パトロンから読者へ ―18世紀に起きた資金の逆転
この方式は18世紀のイギリスで一般化します。
それまで、本を出すのは資金に余裕のある人間の仕事でした。裕福なパトロンを見つけ、その庇護のもとで出版する。しかしパトロン探しは手間がかかるうえ、見つかるかどうかは運に左右されます。そこで、刊行前に読者から直接お金を集める方式が広がっていきました。
代表例が、詩人アレクサンダー・ポープによるホメロス『イリアス』の英訳です。ポープは7年をかけて予約購読者を集め、その収益で、以後は生活のために書く必要がない立場を手に入れました。当時の一般的なやり方では、購読者は代金の半額を先に払い、残り半額を本が届いたときに払います。そして購読者の名前は、身分の順に並べて巻頭に印刷されました。
ここが面白いところで、購読者の側にも見返りがあったのです。名簿に名前が載ることは、「自分はこの本の価値を分かっている側の人間だ」という表明になります。お金を払う側が、単なる買い手ではなく支援者として扱われる。この構図は、現代のクラウドファンディングのリターン設計とほとんど同じです。
パトロン一人に頼る形から、多数の読者に支えられる形へ。資金の出どころが変わったことで、書き手が誰のほうを向いて仕事をするかも変わりました。
新聞と雑誌が、それを「日常」に変えた
19世紀に入ると、この仕組みは新聞と雑誌に引き継がれます。ここで性格が一段変わりました。一冊ごとの前払いから、期間に対して払い続ける形へ移ったのです。
日本の新聞はその極端な例で、戸別宅配と月ぎめ購読という、世界的にも珍しいモデルを作り上げました。毎朝決まった時間に紙が届き、月末にまとめて払う。読者はもはや「本を買っている」のではなく、「関係を維持している」状態です。
『編集思考』はここでNHKの受信料にも触れています。同書が書かれた2019年当時、衛星契約の受信料は月額2,230円でした(口座振替・クレジットカード継続払の場合。その後2020年と2023年に値下げがあり、2026年現在は2か月払3,900円、月額換算で約1,950円です)。契約と同時に支払いが始まり、解約するまで続く。これも、購読という発想の延長線上にあります。
そして現在。同書はAmazon、Hulu、Spotify、Apple Music、服が借り放題の「メチャカリ」、高級バッグが借り放題の「ラクサス」といった例を挙げ、サブスクリプションが特定の業種の話ではなく、あらゆる領域に広がった状態を描いています(同書執筆時点、2019年7月時点の記述です)。
400年かけて、予約購読は「本を先に買う仕組み」から「あらゆるものを使い続ける仕組み」になりました。
サブスクリプションの本質は「取引」ではなく「関係」である
ここからが、この歴史のいちばん面白いところだと私は思っています。
『編集思考』は、サブスクリプションを取引ではなく関係として捉えます。従来の単発の取引が「デート」だとすれば、サブスクリプションは「婚約から結婚」にあたる、という比喩です。エンゲージメント(engagement)という言葉が「顧客との関わりの深さ」と「婚約」の両方を意味するのは、偶然ではないのかもしれません。
この違いは、売り手と買い手の行動を根本から変えます。
売り手の側。 単発の取引なら、その一回でいくら取れたかがすべてです。しかし関係が前提になると、指標は一回の売上ではなく、その顧客と付き合い続けたときの総額に移ります。一度売り抜けて満足度を下げるより、長く深く付き合ったほうが得になる構造に変わるわけです。
買い手の側。 単発の取引なら、できるだけ安く買い叩くのが合理的に見えます。しかし関係が前提になると、それは自分の首を絞めます。相手の体力を削れば、サービスの質は落ち、続けられなくなる。互いに支援し合ったほうが得になる。
同じ商品を同じ金額でやり取りしていても、「一回きり」か「続く」かで、合理的なふるまいが正反対になる。これが、400年かけて広がった仕組みの中身です。
プロジェクトの現場への応用
ここまでメディアの歴史を追ってきましたが、私がこの話を紹介したいと思ったのは、IT・Webプロジェクトの発注と受注が、いままさに同じ移行の途中にあるからです。
かつてのシステム開発は、要件を決め、作り、検収して終わりでした。契約は請負、成果物は納品物、関係はそこで一区切りします。構造としては「デート」です。
ところがSaaSとクラウドが前提になった現在、システムは「作って終わり」ではなくなりました。契約が続く限り使われ、使われる限り改善が要る。保守運用は付随作業ではなく、本体の一部になっています。PMBOK第8版が成果物の引き渡しではなく価値の実現を軸に据えているのも、同じ変化を映したものと私は見ています。
この移行を頭に入れておくと、実務で効いてくる場面が三つあります。
ひとつめは、見積りの見方です。 単発の取引なら、相見積りで最も安い一社を選ぶのは合理的です。しかし数年使い続けるシステムであれば、判断の対象は初期費用ではなく、運用まで含めた総額と、その会社が数年後も存続しているかどうかになります。安く買い叩いた結果、担当者が疲弊して離職し、引き継ぎのないまま保守が止まる——という形で跳ね返ってくることがあります。
ふたつめは、プロジェクトの「終わり」の定義です。 関係が続く前提なら、検収は終点ではなく通過点になります。にもかかわらず契約書もWBSも検収で終わっていると、リリース直後から誰の仕事でもない領域が発生します。運用体制と改善の進め方を、プロジェクト計画の中に最初から書いておく必要があります。
みっつめは、コミュニケーションの設計です。 単発の取引では、情報は必要最低限しか流れません。相手に手の内を見せるのが不利になりうるからです。関係が続く前提では逆で、困っていることを早く言えるほうが、双方の損が小さくなります。定例会が「進捗の報告会」で終わっているか、「まだ問題になっていないことを話せる場」になっているかは、この違いをよく表します。
400年前の辞書が教えてくれること
ミンシューが内容見本を配って歩いたとき、彼が集めていたのはお金であると同時に、「この本を完成させてほしいと思っている人」でした。417人の名前が巻頭に印刷されたのは、資金の記録であると同時に、関係の記録でもあります。
サブスクリプションの歴史は、ビジネスモデルの歴史というより、売り手と買い手の関係が何度も組み替えられてきた歴史として読むほうが、実務に効くと私は思っています。私たちがいま扱っている契約や見積りや定例会も、その組み替えの途中にあります。
自分が担当しているプロジェクトは、「デート」の作法で進んでいるか、「結婚」の作法で進んでいるか。一度当てはめてみると、見えていなかったずれが見つかるかもしれません。
参考文献
- 佐々木紀彦『異質なモノをかけ合わせ、新たなビジネスを生み出す 編集思考』NewsPicksパブリッシング、2019年10月、312頁(「サブスクリプションの歴史」の項)
- History of Information「Minsheu’s Ductor in Linguas, The First Book Sold by Subscription and the First Book to Include a List of Subscribers」(John Feather の研究に基づく記述)
- History Workshop「The crowd-funded book: an eighteenth-century revival」

